除雪が追いつかなくなり始め、幼稚園のブルに急きょ応援要請をしたり、会員のOさんのご主人が見回りに来てくれたり、裏のお宅との境界辺りに牧師館の三角屋根から容赦なく滑り落ちる雪がうずたかく積もってしまい、とうとう業者さんに助けてもらっての排雪が行われた。今日はそれが終わってホッと一息の気分でもある。
1月3日~4日に掛けての雪は、稚内市での観測が始まって以来2番目の積雪量とのこと。チラチラと降っているかと思ったのに、気が付いたらドッカーンとなっていたのだ。周囲の方たち、つまり、稚内に長年暮らして居る方たちが「1月にこんなに降ったのは初めて」「いやー、さすがに、まいった・・・・」等と話している。そう、たいへんなのは北海道一年生の私たちだけではなかったのだ。
道路を挟んで向かいの、たぶん90歳を越えている独り暮らしのおばあちゃんは、そんな中でも除雪車がやって来ると、二階の窓から屋根に降り立ち、勇ましく、雪を一生懸命に道路に落とし始める。こちらも手伝う余裕も無く、危ないと思う以上に、おばあちゃんのたくましさにある種の感動を覚えてしまうのだった。
牧師館の奥には教員住宅が二軒並んでいるが、お正月を挟んで、二人の独身の先生共に暫くお留守にされていた。昨日先に戻って来られた奥の方の先生。車が雪に埋もれて動けなくなってしまっていたそうだ。わたしが帰宅すると、妻が「わたし、今日、善きサマリア人になったけん」と報告してくれた。
スバルの新型の四輪駆動車に乗っている高校の先生も、タイヤが空転してしまって脱出出来ない状態だったとのこと。助けを訴える視線を感じた妻は、近寄って行き、一緒に奮闘するも解決できず、「先生、これはJAFを呼んだ方がいいよ」とアドバイス。
その後、JAFが到着するとこんどは「牽引の金具はトランクのスペアタイヤの下よ、ほら」と指導したそうだ。3週ほど前に我が家が経験したことをそのまま生かすことが出来た。でも、雪の降る中、険悪になるのでは無く、助け合えて良かったとしみじみ思う。「隣人になったねぇ」と拍手しつつ、大いに誉めてあげたのだった。
時間は前後するけれど、1月6日の日曜日、嬉しいことがあった。一つは賛美を巡ってのこと。聖餐式の終わり近く、ふと会衆席のみなさんの様子を見ると、席にいるみんなが、ゆーっくりと体を揺すりながら賛美している。
聖餐の時の讃美歌は座ったまま歌うのだが、身勝手に揺れているのではなく、ほぼ体の揺れが一致している。今までもこういうことは時々起こっているのだろうけれど、その瞬間を見たのは初めてだったような気がする。何とも言えぬ幸せを感じた。礼拝で讃美歌を歌っていて、とても感動する瞬間が時々やって来るのだけれど、この日もそうだった。
もう一つ、訪問聖餐を行った時のことも忘れられない恵みの場となった。役員会が終了してから、16時半過ぎ。雪の中、小高い丘の上のお宅に向かった。そこは先日受洗されたA兄のお宅だった。妻も共に訪問。Aさんにとって最初の聖餐式をと考えて出掛けたのだ。
奥さまは、「初めての聖餐式だから写真をお願いしようかしら」ということで、妻はカメラマンに。到着時今ひとつ元気がなかったA兄だが、しばらくの懇談のうちに笑顔が出てきた。その時の写真も今日、祈祷会の時に届いた。珍しい写真なので何とも嬉しい。聖餐には不思議な力があると思う。そんなことを改めて言うまでもないのだが、やはり力を感じる。聖礼典を重んじることの大切さを感じた。
一昨日の夜、かつて仕えていた新潟県の教会の現任の牧師から電話を頂いた。「悲しいお知らせなんですが・・・・美穂さんが召されました。前夜式、葬儀が・・・」「あのー、○田先生、美穂さんはお幾つでしたか」「あと一ヶ月で97歳でした」とのこと。恐縮しつつ、彼の地での思い出を妻とポツリぽつりと語った。そしてある光景を思い出した。
ある土曜日の午後、わたしが田園地帯の見晴らしのよい村の中にある美穂さんのお宅に伺うと、その日はお一人で居られた。居間の食卓に座ってあれこれとお話しをするうちに、「先生、わたしも(礼拝の時の子ども祝福のように)頭に手を置いて祝福してください」と言われたのだった。美穂さんは冗談めかしてそう言われたのではなく、ごく普通に、いつものように淡々とそう口にされた。
その他、古ーいアルバムに収められていた、ご出身地の秋田での結婚式の着物姿の写真を前に、懐かしい思い出を語って下さったことも忘れられない時間だ。天国で会えることを楽しみにしたい。また一人そんな方が増えたが、悲しみよりも、確実な恵みとして備えられているように思うのだ。
稚内でのきびしい冬の暮らしや出会いの中にも、瞬間瞬間に、よーく目を凝らして見ると美しいものが広がっていることを思う。今朝の冬の晴れ間も素晴らしかった。そんな感性を失ってしまわないように過ごしたいと願う。end