2013年度、つまり、来年度の「教区年頭修養会(北海教区の真冬の伝統行事!)」の第一回準備検討委員会が名寄の道北クリスチャンセンターで開催された(少し大袈裟)。 ちなみに、2014年の1月に旭川で開催されることが内定です。
開始時間は日曜日の夕方4時。名寄までは約170㎞。いい季節ならば飛んで走って休憩なしでわたしの場合は2時間40分。休憩すれば3時間コース。つまり、車で向かえば雪のない季節ならば何とか間に合う。
しかし、道北地方は10日程前から雪が降り積もり始めている。どうも、今頃の季節が、夜間になると日中一旦解けていた雪が凍り始め、アイスバーン状態となり、一番滑りやすいそうだ(幾人もの方が事故の経験、命拾いの失敗談を知らせてくれた)。
特に、音威子府(おといねっぷ)から中川沿いの40号線は鹿が飛び出て来たり、反対車線の車がカーブなどで飛び込んでくることもある、と聞いた。命に関わるなぁ、死にたくないなぁ。オレも飛び込んでいくのか・・・の声が心の中に少しだけ響く。
妻が探してきた『北海道ファンマガジン』というWEBサイトには、【一般に、乾燥路面、濡れているだけの路面(凍っていない)、新雪が積もったばかりの路面、シャーベット状の路面、わだちの路面、圧雪状態の路面、凍った路面と大別することができ…】と懇切ていねいな説明があり、警告してくれている。
つまり、北海道で長年暮らして居る方たちはその微妙な道路変化の状況をよーく理解しているらしい。次第に自動車あきらめスイッチが入り始める。わたしは北海道では新米だ(素直に認める)。わたしのような方がスリップしてあっちに突っ込み、こっちに流れて飛んでくるということで事故多発になるのだろう。
妻からの猛烈な“自動車による出張反対運動”の声を背中に、前日の土曜日、北斗観光さんを訪ねて割安切符をゲットすることを決定。結局、O戸新治さんにJR南稚内まで送っていただき(妻は恐くて運転拒否)13時49分にサロベツ号に乗車した。
上りのサロベツ号は4割程度の混み具合。助かった。車内販売は無くても快適だ。今年の1月、初めて札幌から稚内へと列車で向かったときには物珍しい気持ちばかりだったのだが、停車する駅名と風景が、とっくに日没している線路沿いで、ほぼ何も見えなくてもおおよそ分かるようになっていた。旅人から住人への変化を実感。
ときどき、晴れ間が見えると妙に嬉しいが青空は長続きしない。小さな吹雪か、列車自らが舞い上げるのか、というような天候の中、とても特急列車とは思えないスピードでサロベツ号は進んだ。でも、車は諦めて正解だった。安全第一、疲れも5分の1以下位だろうか。元気に23時過ぎには牧師館に戻れたのだった。
道中、積ん読状態だった本を開くことが出来た。わたしが一方的に友と思い込んでいる塩谷直也氏の『聖書 -信仰生活の手引き-』(日本キリスト教団出版局)を開いて感動。わくわくしながら、そして、シャープペンシルでどんどん線引きするのも久しぶりだった。
名寄駅を下りて、塩谷先生に「いやー、久しぶりに興奮しながら読んだ本でしたー」と電話を入れようとしたが、携帯電話はわたしの使用電話会社の問題なのか、この地域では使えない・・・・という意味の案内が聞こえて来ること2度。諦めた。それにしても彼の本はどれもわたしにとっては面白すぎるし感情移入してしまう。親身に感じてしまうのはわたしだけではないだろう。それにしても嬉しい気分だった。
タクシーに乗り込んでセンターへ。道北地区の委員会は、本当の意味で真面目だ。ユーモアもある発言、そして、トンチンカンになりそうな発言もあたたかく受けとめられていく。この会議は、信徒の方も尊重されていて、いや、それどころか、現在の道北地区の委員長は旭川六条教会の信徒さんだ。いろんな経緯があってそこにたどり着いているにしても、これって、全国の日本キリスト教団の各地の地区・分区では、すごく珍しいというか、異例というか、最先端のことだと今頃になって分かってきた。
「こんなにたくさんの牧師先生方がいらっしゃるんだから、もう少しリーダーシップを!」という声が聞こえるも、笑顔で受けとめる仲間達は、「いやー、この、混沌とした感じから考えて行く方法を、道北地区ではたいせつにして来たんですよー」のようなことを、まったくトゲもなく、穏やかに伝える。すると、少し力がはいって発言していた信徒さんも、やがて納得するのだった。
19時過ぎ会議終了。「すみません、車押して下さい。滑って出せませーーーん!」の声が聞こえる。
士別教会の難波牧師に送って頂き、20時07分発のスーパー宗谷稚内行きに乗り込む前、名寄駅前のロータリーにある電光掲示板に目が行った。“ただいまの温度、マイナス12℃”と出ていた。掲示を見るまでは寒いと思わなかったのに、急に体が震える(ような気がした)。
でも、疲れよりもちいさな希望を、ぬくもりを抱えて帰宅。あらためて感謝だなぁ、と感じる51歳11ヶ月と20数日の夜だった。